ねこのヌーピン

猫のヌーヌー、ピンピンの2匹と人間2人で生活しています。2024.1.13にリンパ腫と診断された愛猫ヌーヌーの記録が主です

お別れの話とか

ヌーちゃんとお別れをしました

2023.2.10の11:37に、ヌーちゃんとお別れをしました。たった2歳8ヶ月でした。

前日の2024.2.9にピンちゃんと一緒にお外を見るヌーちゃん

闘病生活を始めてからは、29日間しか一緒に過ごすことができませんでした。リンパ腫は、まだ現代医学では完治することはできない、恐ろしく悲しい病気です。

ヌーちゃんは、亡くなる前日・9日まで強制給餌や投薬も頑張って受け入れてくれていました。その日の夕方、ヌーちゃんからの「食べたくない」という明らかな意思を感じ、それから動物病院に確認をとり、看取る覚悟や準備をするに至りました。

夜、ヌーちゃんはあまり力の入らなくなってしまった体で、全ての部屋の全ての椅子などに座る「巡業」のようなことを始めました。

私たち、そしてピンちゃんは、それに一緒に付き合って、最後の夜を過ごしました。

1時間に1箇所くらい移動し続けるという不思議な行動をする彼に合わせて、私たちは枕や毛布を携えながらの民族大移動をしていましたが、今思えば、彼はこの世界と別れるのがきちんと分かっていたゆえの行動だったのだと思います。

きっと、全てのお気に入りの場所に対しての愛惜の気持ち。そしてそんな彼に寄り添い続けるピンちゃんに、お別れの挨拶をしているんだろうな。そうとしか思えない、かけがえのない時間でした。

 

そんな彼流のお別れをしている様子を、私たちは最期までずっと見守ることができました。壮絶な時間は確かにありましたが、どれもこれも、彼の愛おしい生命の一瞬だったので、忘れることはありません。

どんなときも、私の大切な相棒で子供のような存在で担当編集で、友達で、恋人で、家族で……言い表せられないくらい唯一無二な存在のヌーちゃんでした。

 

ヌーちゃんは、猫として生まれたのは初めてだったのかな?というくらい、いろんなことがへたっぴで不器用なユニークな猫でした。それでも、最期まで粗相もせず(2回だけ限界でしちゃったね)、怒りのシャーも一度もせず、ずっと抱っこが大好きなままの超おりこうラブリーやさしい猫でした。

ヌーちゃん。オバケの姿のまんまでもいいから、また遊びにおいで。たくさんの個性を身につけて、また一緒に暮らすために、生まれ変わっておいで。

 

 

ようやくこれが書けた理由・日にち薬

前回の記事からこの記事を書くまでに、かなりの時間を要してしまいました。

やはり人間には「日にち薬」が必要でした。

2024.3.11に仏式の火葬、そして2024.3.29にはヌーちゃんの四十九日を迎え、なんとなく気分も上を向いて(というか向かねばならぬという思いになって)きました。

四十九日の節目に、祭壇を片付けました。家族や病院からもらったたくさんのお花を飾ったり、彼の大好きだったちゅーるやカリカリを毎日欠かすことなくお供えしていた、にぎやかな祭壇でした。今は小窓から彼が覗いているようなかわいい写真立てのみになりました。

 

彼が亡くなってからも涙を流すときがありますが、以前とは涙の種類が変わったなと思います。

病気が判明してから亡くなるまでは、毎日キューブラー・ロスの『死の受容』の5段階を反復横跳びしているような涙でした。本当に毎日毎日、いろんな感情になって泣いていた。

今出る涙は、また会いたい気持ちや、感謝や愛おしかった気持ちの涙になっていると思います。

ヌーちゃんは、自分で飼おうと決意して、看取りまで迎えた初めてのペットです。彼にはたくさんのことを教えてもらいました。一生治らない私の心のかさぶたですが、それもこれからの日にち薬で愛せるようになっていくのかな。

 

 

ピンちゃんの様子

ヌーちゃんの相棒だったピンちゃんですが、ヌーちゃんがいなくなってからは性格が少し変わったような気がします。

たぶん、彼女も彼女なりにヌーちゃんの死を理解していると思います。棺に寝かされているヌーちゃんを静かに覗き込んだり、ヌーちゃんのお供えのカリカリやちゅーるには全く反応を示さなかったり…。人間にはわからない領域で、何かを感じ取っているんだなということがたくさんありました。

ヌーちゃんが亡くなってから数日間は、不安分離症のようになって大きな声で鳴くことが多かったです。また、彼女の持病(喘息)がおそらくそのストレスで一時的に悪化した際、治療で動物病院に行ったときも今までにないような鳴き方をすることがありました。

以前はご飯の準備をしているときは、ヌーちゃんと一緒にスタンバイをしていましたが、今となっては「ご飯だよ」と呼んでもあまり来なくなってしまいました。ヌーちゃんと一緒に並んで食べる、という行為がただ好きだったんだろうな…。

また、以前もそこそこの甘えん坊でしたが、信じられないくらいの甘えん坊となってしまいました。毎日、ヌーちゃんがやっていたような甘え方をして、人間の元を離れない子になっています。

猫の保育園時代から、ケージの中でもずっと一緒だったヌーちゃんがいないというのは、彼女にとっても想像を絶するストレスだったのだと思います。ピンちゃんのことは、今まで以上に大切に見守って育てていかなくてはと決意しました。

なに見てんのよ、と言わんばかりのピンちゃん(2024.3.30)

ピンちゃんは、後輩がいてもきっといい先輩になるようなフレンドリーな猫です。生まれ変わったヌーちゃんや、春の子猫シーズンにもしも出会ってしまった猫など…そういう運命の出会いがあれば迎え入れて、また2匹で安心してくっついているような姿を見たいなと、人間のエゴだけど思っています。

 

 

書いておきたいこと(いずれ)

・1週間ごとに闘病記録を書いていたので、3週間目〜のこと

・病気が判明した際に、すぐやっておけばよかったと思うこと(国会図書館での資料の取り寄せ。セカンドorサードオピニオン)

・食事やサプリメントのこと(食べられるものが少なくなっていくので、嗜好性の高い食事や与えてもいいか医者に訊いたサプリメント

・時系列まとめリンク

 

残念ながらとても早い進行の病気だったため、闘病記として始めたこのブログ「ねこのヌーピン」ですが、ブログ名の一部が欠けながら続けるのも寂しいものなので、上記の事柄が書けたら更新を終了したいと思います。かわいい写真だらけを載せようと思っていた同名のTwitter(X)アカウントも同様に終了します。

猫がリンパ腫と診断に至るまで

猫風邪かもと思っていた頃

2024.1.12の朝、突然ウェットフードを食べなくなりました。

「ちゅーるは食べるけど何か元気がないな」「またウェットフードに飽きてボイコットしているのかな」と思って、午後からは久しぶりの外仕事に向かう人間。

猫たちは、朝ごはんを食べた後は長い昼寝に入ります。度々起きてはカリカリを食べたり、いたずらをしにきたり、排泄をしたり遊んだり……。そんないつものルーティンをしているだろうと思いながら帰宅し、猫たちの夕ご飯を出したときでした。ヌーちゃんは夕飯のウェットフードをまた二口三口食べてどこかへ行ってしまいました。ここで何かがおかしいと、ようやく気付きます。

触ると耳が少しだけ熱く、熱っぽさがあったので、猫の葛根湯のようなものを飲ませました。明日病院に連れて行こう。そう決めた瞬間でした。

 

猫になにか異変があると私はよく眠れなくなります。きっと世の中のペットオーナーや、人間の赤ちゃんを持つ人も同じような気持ちでしょう。言葉を喋れない生き物と生活していると不安で眠れない夜が沢山あることを、風邪っぴきだった子猫の頃振りに思い出しました。

 

翌日の2024.1.13、朝早くにかかりつけのA動物病院に駆け込みました。ヌーちゃんの体重は5kgだったものが4.8kgと多少減っておりましたが、触診・血液検査でも問題がありません。しかし食欲のなさは健在であるため、念の為超音波検査をすると腸のあたりに「影」があるようでした。

超音波検査結果

「もしかしたらがんとか、腫瘍かもしれません。近くの設備の整ったB動物病院を紹介できるのでCTなどを撮ってもいいと思います」

そう言われて、すぐさま近くの動物病院に予約の電話をかけました。事情を話すと、予約でいっぱいにも関わらず快く受け入れていただけることになりました。

 

2軒目の病院に行くまでのタクシーの中、「がんじゃありませんように」「手術で治るような病気でありますように」「ヌーちゃんはこのまま死んじゃうの…?」と支離滅裂な思考のまま猫のキャリーバッグを抱きしめていました。

夫に連絡すると、様々な予定をキャンセルしてすぐに動物病院に向かうと言ってくれました。

 

リンパ腫の発覚

2つ目の病院で追加の血液検査とレントゲン撮影をし「おそらくリンパ腫」だろうという診断を受けました。その腫瘍は腸にあり、全身に転移している可能性があるとのこと。

リンパ腫(血液のがん)は気付くのが大変難しい病気だそうです。人間のがんと同様に、若ければ若いほど急激に増殖するので、違和感に気づく頃には相当進行しているとのことを伝えられました。

 

ヌーちゃんの場合、いつ頃この腫瘍ができてしまったかと思うか医師に訊くと、おそらく年末あたりだろうと。人間の1日は猫の5日とはききますが、たった2週間。信じられないスピードだと思いました。

12月、私がたくさん徹夜をしているときにも椅子の隣で付き合ってくれていたヌーちゃん。年末年始、人間の友達が遊びに来ても受け入れてくれたヌーちゃん。コミケで帰りが遅くなって、遅い夜ご飯を食べさせてしまった日のヌーちゃん。パスポートを作りに行った日、ガスストーブを消して寒い思いをさせてしまったかもしれない日のヌーちゃん。

12月28日のヌーちゃん。元気で、たくさん甘えてきて、何もわからなかった

私の選択した小さな積み重ねがストレスになってしまったのではないか。そのストレスががんのトリガーとなってしまったのではないか。理由を見つけるように、とめどなく小さい事柄を思い出しては、後悔してしまっていました。

 

当日の血液検査

血液検査の結果は、

  • 高……MCV(52.2)、総ビリルビン(0.5)、AST(50)
  • 低……血小板数(1.5)、ALP(16)、Cl(104)

特に、血小板数は基準が17.5〜50.0(万個)に対して、1.5万個ととても低い値でした。また体の内部で炎症が起こっていることが明らかだという数字が出ていたと記憶しています。

 

UW-25プロトコールの開始

血液検査の後、治療を開始することになりました。

治療をしなければ2-3週間の命と言われた私たちには、治療以外の選択の余地などありません。リンパ腫にはさまざまなアプローチがあると今では理解していますが、当日は「UW-25」プロトコールで治療をすることにすると主治医が決定しました。私たちも、もちろん同意しました。

「UW-25」プロトコールとは、おおまかに言えば毎週の抗がん剤と共に日々ステロイドプレドニゾロン)を服用するような治療スケジュールです。

 

ヌーちゃんの場合、1週目は「L-アスパラギナーゼ」という抗がん剤でした。

ヌーちゃんのがんは全身にわたっている可能性が高いです。だから、この抗がん剤が効かなければ、もしくは強い副作用が出てしまえば、その時点でUW-25のプロトコールはゲームオーバーというか……そういった恐ろしい印象の話をされたのを強く覚えています。

当日すぐに、ヌーちゃんは点滴にて薬品を投与されるため半日の入院をすることになりました。その待ち時間は壮絶でした。私たちは近くの喫茶店で、緊張と不安で味のしないコーヒーを啜りながら、ヌーちゃんの無事を祈るしかありませんでした。

 

L-アスパラギナーゼ投与後、帰宅

帰宅後すぐ、ヌーちゃんはうんちとおしっこをし、ご飯を食べ…不調だった頃やがんという事実が信じられないくらいに回復しているようでした。副作用もなく、抗がん剤を投与できたという証でした。

普段通りのその光景が、本当はとても特別なことだったと気づき、夫と一緒に抱きしめ合ってわんわん泣きました。

ヌーちゃんがちゃんとご飯をたべられたこと、排泄ができたこと、ピンちゃんと舐め合いっこして、寄り添い合って眠ること、ご機嫌になって「うーあー」というかわいい声を出せるようになったこと。

こんな、いつも通りのヌーちゃんとピンちゃんと一緒の生活が10年20年続くと思っていたのに、もしかしたらこんな生活は長く続かないのかもしれない。そう思うと、涙は止まりませんでした。これまでたった2年と少ししか経っていないけれど、平和な生活はなにものにも代え難い宝物のような時間だったんだと痛感しました。

夜、食事と排泄のチェックのためにつけたペットカメラを見つめるヌーちゃん

夜、私たちは眠れるはずもなく、猫のがんの本、(絶対に来てほしくはないが)ターミナルケアの本、さまざまなネットの記事、Twitterのポスト、有象無象を読んでいました。割合は少ないとはいえ、たくさんの猫たちがなってしまう病気なんだとも気付かされました。

そして、ヌーちゃんのように白血病が陰性な若猫がリンパ腫を発症してしまうのは稀だということも知りました。そして、余命日数や寛解についても、そもそもリンパ腫の猫のサンプル数が少ないため、一概には言えないことも感じました。

諦めなくていい、悲観も楽観もできない病気。私の中ではそうした結論に落ち着きました。

それなら、ヌーちゃんの若さや元気にかけて、やっぱり抗がん剤治療をみんなで頑張りたい。それが人間のエゴだとしても、まだ治療を手放すことはしたくないとも感じました。

 

これから、どんなことがあっても、私たちは目の前のことを二人で結論を出してやっていこう。ヌーちゃんのためにも「いつも通り」を合言葉に、がんばっていこう。そう決めたことを覚えています。

これを書いているいま、「いつも通り」を治療の必死さゆえに忘れてしまうときがあると感じています(昨日強制給餌をしました)。初心に帰って、ヌーちゃんにはなるべくいつも通りのお気に入りのおうちで、楽しくご機嫌で過ごしてもらいたい。そう思っています。

愛猫、がんになる

はじめに

ヌーヌー(右)とピンピン(左)、保護施設での赤ちゃんの頃の写真

2021.6.5に保護施設からやってきた2匹の猫、黒猫のヌーヌー(♂)とサバシロのピンピン(♀)。2匹の猫と2人の人間たちは毎日を楽しく穏やかに暮らしていました。

 

2024.1.13、前日に元気・食欲の薄いヌーヌーを病院に連れて行ったところ、リンパ腫(血液のがん)と診断されてしまいました。

すぐにでも治療をしないと2-3週間程度しかもたない命だということを医師より説明されました。風邪か何かだと思い込んでいた私の頭は理解が追いつかず、真っ白になりました。まだ2歳の子です。10年20年と一緒に生きていく心づもりをしていました。理解が追いつかないのに、涙はとめどなく溢れてしまいます。

青天の霹靂でしたが、抗がん剤治療を進める以外の選択の余地は私にはありませんでした。

 

このブログはそのヌーヌー:通称ヌーちゃんの闘病の記録を残しておこうと思い立ち開設しました。心配で仕事も何も手につかない日々が続いていましたが、文章として残しておくことは、きっと自分の心の整理や客観視につながるでしょう。そして傲慢ではありますが、リンパ腫の猫たちの飼い主たち、そんなどこかの誰かの心の救いや希望に少しでもなれればいいなと思っています。

 

猫について

大人になったヌーピン

ヌーヌー

黒猫のほう。男の子。成猫になっても赤ちゃんの頃の写真と印象が変わらない、ぼんやりとした穏やかで優しい子です。体のいろんなところに白い毛がちらばっていたり、90度の鍵しっぽを持っていたり、爪がしまえず犬のようにチャカチャカという音を鳴らしながら歩いたり、とても個性的で可愛い存在です。初めて会った時は、見つからずソファーと壁の間に自ら挟まって隠れていた、シャイだけど面白い子です。

ピンピン

サバシロのほう。女の子。小さい時はクリームサバシロorパステルサバシロという感じの見たこともない美しい毛色でした。成猫になってだんだん色が変わってもグレーのような茶色のような、不思議でおしゃれな毛色です。保護施設の方から「こんなに賢くて積極的な子は見たことがない」と言われ一度は譲るのを躊躇されたくらいのいい子です。初めて会った時は赤ちゃんだったのに、自分から歩いてそばにきてニャッと挨拶をしてくれました。

 

ヌーちゃんとピンちゃんは保護施設時代からずっと一緒の相棒です。

人間たちにとって、2匹ともとてもかわいい大切な家族です。

 

飼い主について

人間2人。どちらも在宅ワークの仕事なので、ヌーヌーの治療と通院を日々なんとかふたりで繋いでおります。ブログを書いている方の人間は、在宅のweb制作業兼漫画家です。

 

猫のリンパ腫発見を経て読んだ書籍・ブログなど(随時更新予定)

猫がリンパ腫になると、飼い主は様々な情報を必死にかき集めると思います。

希望を捨てたくない気持ちはみな当然です。飛びつきたくなるような謳い文句のサプリメント、素人には難解な治療法やプロトコール、さまざまな体験談やレビュー……しかしGoogleエビデンスのとれた記事や商品をピックアップしてくれるとは限りません。

そんな中ですが、個人的に私が読んで心の支えにしているものや知見となったものを、参考として載せておきたいと思います。

 

がんを寛解させている猫たちのブログ

 

猫のがんを知るための書籍(アフィリエイトリンクなし)

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    猫のなりやすい病気は腎臓病、という認識が覆りました。ヌーちゃんの診断されたリンパ腫もさまざまな部位に発生すること、具体的な治療方法、予後などが書かれております。医師と対話することが多くなると思うので、エビデンスの取れた基礎知識を仕入れたかったです。

  • まんがで読む はじめての猫のターミナルケア・看取り

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    タイトルはつらいですが、ペットを飼うということは自分より早く寿命を迎える生き物と過ごすことです。医師から「治療しないと2-3週間程度しかもたない命」と最初に言われたときに、さまざまな覚悟を再確認するために読みました。

  • 猫にいいものわるいもの

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    2016年の本なので情報は古いです。しかし例えば「ホームセンターなどで買える、がんの猫でも食べて良さそうなものがほしい」というときなどは、ひとつの指標にはなるかと思いました。