ねこのヌーピン

猫のヌーヌー、ピンピンの2匹と人間2人で生活しています。2024.1.13にリンパ腫と診断された愛猫ヌーヌーの記録が主です

猫がリンパ腫と診断に至るまで

猫風邪かもと思っていた頃

2024.1.12の朝、突然ウェットフードを食べなくなりました。

「ちゅーるは食べるけど何か元気がないな」「またウェットフードに飽きてボイコットしているのかな」と思って、午後からは久しぶりの外仕事に向かう人間。

猫たちは、朝ごはんを食べた後は長い昼寝に入ります。度々起きてはカリカリを食べたり、いたずらをしにきたり、排泄をしたり遊んだり……。そんないつものルーティンをしているだろうと思いながら帰宅し、猫たちの夕ご飯を出したときでした。ヌーちゃんは夕飯のウェットフードをまた二口三口食べてどこかへ行ってしまいました。ここで何かがおかしいと、ようやく気付きます。

触ると耳が少しだけ熱く、熱っぽさがあったので、猫の葛根湯のようなものを飲ませました。明日病院に連れて行こう。そう決めた瞬間でした。

 

猫になにか異変があると私はよく眠れなくなります。きっと世の中のペットオーナーや、人間の赤ちゃんを持つ人も同じような気持ちでしょう。言葉を喋れない生き物と生活していると不安で眠れない夜が沢山あることを、風邪っぴきだった子猫の頃振りに思い出しました。

 

翌日の2024.1.13、朝早くにかかりつけのA動物病院に駆け込みました。ヌーちゃんの体重は5kgだったものが4.8kgと多少減っておりましたが、触診・血液検査でも問題がありません。しかし食欲のなさは健在であるため、念の為超音波検査をすると腸のあたりに「影」があるようでした。

超音波検査結果

「もしかしたらがんとか、腫瘍かもしれません。近くの設備の整ったB動物病院を紹介できるのでCTなどを撮ってもいいと思います」

そう言われて、すぐさま近くの動物病院に予約の電話をかけました。事情を話すと、予約でいっぱいにも関わらず快く受け入れていただけることになりました。

 

2軒目の病院に行くまでのタクシーの中、「がんじゃありませんように」「手術で治るような病気でありますように」「ヌーちゃんはこのまま死んじゃうの…?」と支離滅裂な思考のまま猫のキャリーバッグを抱きしめていました。

夫に連絡すると、様々な予定をキャンセルしてすぐに動物病院に向かうと言ってくれました。

 

リンパ腫の発覚

2つ目の病院で追加の血液検査とレントゲン撮影をし「おそらくリンパ腫」だろうという診断を受けました。その腫瘍は腸にあり、全身に転移している可能性があるとのこと。

リンパ腫(血液のがん)は気付くのが大変難しい病気だそうです。人間のがんと同様に、若ければ若いほど急激に増殖するので、違和感に気づく頃には相当進行しているとのことを伝えられました。

 

ヌーちゃんの場合、いつ頃この腫瘍ができてしまったかと思うか医師に訊くと、おそらく年末あたりだろうと。人間の1日は猫の5日とはききますが、たった2週間。信じられないスピードだと思いました。

12月、私がたくさん徹夜をしているときにも椅子の隣で付き合ってくれていたヌーちゃん。年末年始、人間の友達が遊びに来ても受け入れてくれたヌーちゃん。コミケで帰りが遅くなって、遅い夜ご飯を食べさせてしまった日のヌーちゃん。パスポートを作りに行った日、ガスストーブを消して寒い思いをさせてしまったかもしれない日のヌーちゃん。

12月28日のヌーちゃん。元気で、たくさん甘えてきて、何もわからなかった

私の選択した小さな積み重ねがストレスになってしまったのではないか。そのストレスががんのトリガーとなってしまったのではないか。理由を見つけるように、とめどなく小さい事柄を思い出しては、後悔してしまっていました。

 

当日の血液検査

血液検査の結果は、

  • 高……MCV(52.2)、総ビリルビン(0.5)、AST(50)
  • 低……血小板数(1.5)、ALP(16)、Cl(104)

特に、血小板数は基準が17.5〜50.0(万個)に対して、1.5万個ととても低い値でした。また体の内部で炎症が起こっていることが明らかだという数字が出ていたと記憶しています。

 

UW-25プロトコールの開始

血液検査の後、治療を開始することになりました。

治療をしなければ2-3週間の命と言われた私たちには、治療以外の選択の余地などありません。リンパ腫にはさまざまなアプローチがあると今では理解していますが、当日は「UW-25」プロトコールで治療をすることにすると主治医が決定しました。私たちも、もちろん同意しました。

「UW-25」プロトコールとは、おおまかに言えば毎週の抗がん剤と共に日々ステロイドプレドニゾロン)を服用するような治療スケジュールです。

 

ヌーちゃんの場合、1週目は「L-アスパラギナーゼ」という抗がん剤でした。

ヌーちゃんのがんは全身にわたっている可能性が高いです。だから、この抗がん剤が効かなければ、もしくは強い副作用が出てしまえば、その時点でUW-25のプロトコールはゲームオーバーというか……そういった恐ろしい印象の話をされたのを強く覚えています。

当日すぐに、ヌーちゃんは点滴にて薬品を投与されるため半日の入院をすることになりました。その待ち時間は壮絶でした。私たちは近くの喫茶店で、緊張と不安で味のしないコーヒーを啜りながら、ヌーちゃんの無事を祈るしかありませんでした。

 

L-アスパラギナーゼ投与後、帰宅

帰宅後すぐ、ヌーちゃんはうんちとおしっこをし、ご飯を食べ…不調だった頃やがんという事実が信じられないくらいに回復しているようでした。副作用もなく、抗がん剤を投与できたという証でした。

普段通りのその光景が、本当はとても特別なことだったと気づき、夫と一緒に抱きしめ合ってわんわん泣きました。

ヌーちゃんがちゃんとご飯をたべられたこと、排泄ができたこと、ピンちゃんと舐め合いっこして、寄り添い合って眠ること、ご機嫌になって「うーあー」というかわいい声を出せるようになったこと。

こんな、いつも通りのヌーちゃんとピンちゃんと一緒の生活が10年20年続くと思っていたのに、もしかしたらこんな生活は長く続かないのかもしれない。そう思うと、涙は止まりませんでした。これまでたった2年と少ししか経っていないけれど、平和な生活はなにものにも代え難い宝物のような時間だったんだと痛感しました。

夜、食事と排泄のチェックのためにつけたペットカメラを見つめるヌーちゃん

夜、私たちは眠れるはずもなく、猫のがんの本、(絶対に来てほしくはないが)ターミナルケアの本、さまざまなネットの記事、Twitterのポスト、有象無象を読んでいました。割合は少ないとはいえ、たくさんの猫たちがなってしまう病気なんだとも気付かされました。

そして、ヌーちゃんのように白血病が陰性な若猫がリンパ腫を発症してしまうのは稀だということも知りました。そして、余命日数や寛解についても、そもそもリンパ腫の猫のサンプル数が少ないため、一概には言えないことも感じました。

諦めなくていい、悲観も楽観もできない病気。私の中ではそうした結論に落ち着きました。

それなら、ヌーちゃんの若さや元気にかけて、やっぱり抗がん剤治療をみんなで頑張りたい。それが人間のエゴだとしても、まだ治療を手放すことはしたくないとも感じました。

 

これから、どんなことがあっても、私たちは目の前のことを二人で結論を出してやっていこう。ヌーちゃんのためにも「いつも通り」を合言葉に、がんばっていこう。そう決めたことを覚えています。

これを書いているいま、「いつも通り」を治療の必死さゆえに忘れてしまうときがあると感じています(昨日強制給餌をしました)。初心に帰って、ヌーちゃんにはなるべくいつも通りのお気に入りのおうちで、楽しくご機嫌で過ごしてもらいたい。そう思っています。